エンタープライズコンテンツ管理(ECM)の問題に対応するテクノロジーには世代交代が起きている最中ですが、これはクラウド、柔軟性のためのプラガビリティ、人工知能などを活用する新しいアーキテクチャにより実現されていることはよく知られています。
また、コンテンツをより検索しやすくする、プロセスの効率を高める、といった願望によって駆られているこの全体的な変革の必要性は、レガシーソリューションでは認識されていたものの、解決されていないというのが共通の理解です。
では、このような問題はどこから生じたのでしょうか?人によっては、デジタルコンピューティングの誕生を思い浮べるかもしれません。または近代の大規模な企業の誕生まで遡って考えるかもしれませんが、おそらく、もっともっと遡る必要があるでしょう。つまり、歴史の始まりです。
ECMと歴史の始まり
ユヴァル・ハラリによる人類の歴史に関する名作『サピエンス全史』は、約5,000年前に繁栄したメソポタミアの古代シュメール人まで遡って、情報管理の問題について語っています。シュメール人が現れる前までは、われわれの祖先は数十人ほどの小さな集団で暮らしていました。そのため、われわれの脳は自分の周りに起きていること、つまり、植物や動物、季節、病気を和らげる方法、数十人の部族民と協力する方法などの情報を処理し記憶しているように進化していきました。
シュメール人の繁栄は人口増加を引き起こし、それにより大きくなった部族の間で連携の必要性がでてきました。そこで生まれたのが情報管理の問題でした。
シュメール人の脳(われわれの脳も)は関係性を処理することには長けていましたが、記録を処理することは苦手でした。シュメール人の場合、「人々の収入と所有物に関するデータ、行われた支払いに関するデータ、滞納金に関するデータ、借金と罰金、割引と例外に関するデータ」などです。つまり、大きな王国を管理していくために国民に税を課すために必要なデータでした。さらに複雑なことには、大規模な連携を妨げる他の2つのデータ制約がありました。まず、われわれの脳は、膨大な量の情報を追跡する能力に欠けていることです。次に、人が亡くなると、その知識もその人とともに消滅してしまうことです。シュメール人は次の世代の人々に情報を伝達する手段を持っていませんでした。
シュメールの王たちは、大きな王国の繁栄を維持していくうえで、自分たちの先祖が取り組んだことのない問題に突き当たりました。
何十万人もの国民に課税することです。そのため情報収集は欠かせない作業でした。
とハラリ氏は述べています。
これには、異なる種類の情報を保管して処理することが必要とされました。われわれはこれを情報保存に関する最初の課題と考えるかもしれません。
「限界がある人間の脳に社会的な規定を担わせないようにする」ために、シュメール人は文字を発明しました。そこで情報は不変の形で、どの写字や語り部よりも永らえ、存在し続けることができたのです。なぜなら、鋭い記憶力も詳細な数の記録にはかなわないためです。これにより、ますます大規模な連携を進めて、社会を都市、王国、帝国へと組織化していく道筋が開けました。
メソポタミアには多くの情報や多くの問題がある
最終的には、このような社会はさらに大きくなり、追跡が必要な情報も複雑になるため、新たな問題が生じました。
人々は自分の脳から情報を取り出すこと(階層にかかわらず)はうまくできるが、外部に保管された知識を効果的に管理するためには多くの労力が必要とされる、とハラリ氏は説明しています。
紀元前1776年の様子をちょっと想像してみてください。2人のマリア人が小麦畑の所有をめぐって口論しています。ヤコブは30年前にこの小麦畑をエサウから買ったと言い張っています。エサウは30年の期限でヤコブに小麦畑を貸したと切り返し、その期限が終了するため、取り戻すつもりでいます。怒鳴りあいの口論をし、こづきあいを始めたあげく、王立記録保管所に行けば、この論争を解決できることに気づいたのです。王立記録保管所には、王国の土地や建物のすべての譲渡証や売渡証が保管されています。王立記録保管所に到着すると、2人は役人から役人へとたらい回しにされました。お茶の休憩時間を何度もやり過ごし、明日出直してくるようにとまで言われたあとで、やっと不満げな事務係に粘土板を探しに連れていかれました。事務係が大きな部屋の扉を開いて2人を部屋に入れると、何千もの粘土板が壁沿いに上から下までずらっと並べられていました。
これで事務係が不満そうな顔をしているのがわかりました。口論のもとになっている小麦畑の30年前に記録された譲渡証などどうやって探すことができるのでしょうか?たとえ、見つけたとしても、その30年前の証書が問題の小麦畑に関するものであることをどうやって確認することができるのでしょうか?もし、見つからなかった場合、それによってエサウが小麦畑を売ったり貸したりしていないという証明になるのでしょうか?または、証書が紛失していたり、保管所に雨漏りがあって粘土板が解読不明になっていたらどうなるでしょうか?明らかに、粘土に刻まれた証書では、効率的かつ正確、便利なデータ処理を保証するには十分でないことがわかります。そのようなデータ処理には、カタログのような体系化、コピー機のような複製方法、コンピュータのアルゴリズムのような迅速で正確な取得方法、そして、そのようなツールの使用方法を知っている物知り顔(願わくば陽気)な司書が必要です。シュメール、ファラオ時代のエジプト、古代中国、インカ帝国が際立っていたのは、文書記録の保管、カタログ化、取得について優れた手法を開発していたことです。
ハラリ氏はほぼ4,000年前の逸話を語ってはいますが、現代の状況でもかなり聞き覚えのあることです。木曜日に掲載するこのブログの第2部では、このような問題を解決するためにどの程度進捗があったか(またはなかったか)について検討します。